北方領土『遥かなる祖国』ー前編ー

1.択捉島訪問記

終戦から55年もたって未だ解決されていない戦後処理の問題、それが北方領土の返還です。
国後、択捉、歯舞、色丹の四島には終戦まで日本人が約17,000名居住しており、 れっきとした日本国でした。日本が降伏した1946年8月15日以降に侵攻してきたソ連軍は 島民を北海道などに退去させたのです。
ソ連の不法な占拠に抗議して島民を中心とした 返還運動が、ただちに終戦の年の12月から始まりました。

皆さんは羅臼町に行かれたことがあるでしょうか。
目と鼻の先に国後島の大きな島影を望む事ができます。晴れた日には納沙布岬から歯舞群島 を見ることができます。
島を追われた人たちが目の前の故郷に毎日望郷の念に駆られ無念さを 噛みしめながら過ごしてきた時間の長さを思うとき、戦争の傷跡の深さと国家外交の難しさを 痛感せずにはおれません。

それでも近年では、ロシアのエリツィン前大統領と日本首脳の間で2,000年までに平和条約を 締結し、領土問題に決着をつける方向で協議が進んでおり大きな期待を抱かせましたが、 プーチン大統領に替わってから雲行きが怪しくなってしまいました。
ただ日ロ両国の交流の成果は着実に拡大しており、人々の胸に刻まれた交流の歴史は 必ずや国境の垣根を越えることができると私は確信しております。
それにはまず、何を置いても粘り強く返還運動を持続すること以外にないと思っているのです。
そして、北方四島の返還なくして日本の戦後は終わらないのだという今日的意義を、 もう一度広く国民に認識していただくことも重要です。
私は道議会の北方領土対策特別委員会に所属している関係で、5月22日から25日まで、 元島民や返還運動関係者など総勢61名で択捉島を訪問し、ロシア人との交流を図って参り ました。
初めての訪問だけに認識を改めた点や、課題もたくさん発見できた有意義な旅でした。
この拙文は読者の皆様に、北方領土返還運動に更なるご理解をいただくことと、択捉島の 現状や現島民がどのように生活しているのかを報告することを目的に記したものです。

2.「国境」を越えた

出発の前日、根室に集結した団員はかつてない緊張に包まれていました。
といいますのは、私たちの前の週に色丹島を訪問した団員が撮影禁止区域に入り込んだ ため、国境警備隊からホームスティを断られる事件が起きたからです。
ロシアの国情の厳しさに不安を覚えながら、5月22日午前9時20分、一行61名を乗せた旅客船 コーラルホワイト(334トン)は、晴れ間の見えだした穏やかな根室港を大勢の見送りを受けなが ら滑るように出港しました。

納沙布岬も後方に霞むところまで進み、並行していた海上巡視艇も船足を止めた10時35分、 いよいよ中間点にさしかかりました。中間点とは、日本とロシアの船舶が必ず通過しなければ ならないと決められた事実上の「国境」です。携帯電話も圏外のサインが表示され交信不能、 無防備の状態でロシア領に入っていったのです。
海は穏やかで波ひとつなく、 コーラルホワイトは重厚なエンジン音を響かせて快調に前進を続けておりますが、 団員それぞれの胸の奥底に拡がっていく心細さと緊張感は知らずと口数を少なくしていった ようです。

午後1時50分、国後島の古釜布沖に到着、錨を降ろして国境警備隊の臨検を待ちます。
必ずここで入国審査を受けなければならないのです。
国境警備隊の船には「希望丸・東京」と記されておりましたので、私はてっきり拿捕した 日本船を使用しているものと思いましたら、一昨年日本人が人道支援策としてロシア側に 提供した船と聞いて思わず吹き出してしまいました。
それにしてもサビだらけ、傷だらけで、物や心を粗末に扱う国民性なのかと不信感を覚えた のも事実です。
遠く街並みを見やれば茶色く錆びてくすんでおり、赤や青の原色の色彩を認めることは できませんでしたが、わずかながら埃を立てて失踪する車に生活者の存在がしのばれました。

3.一路択捉島へ

二時間の入域審査を終え午後3時50分、船は一路
多少のうねりが出てきたとはいえ航海は順調そのもの、刻々と夕闇が迫る中を東上していきます。
日本との時差は2時間ありますが、ここでは全て日本時間で表記することにします。

択捉島は北方四島最大の島で、面積が島根県に匹敵する3,200平方キロ(日本一!)もあり、 根室から150キロ離れております。
交通機関の発達した今では石垣島でも小笠原諸島でも数時間で行くことができるようになりましたが、 択捉島へは船便しかなく最も遠い島なのです。
私たちが今回訪れたのは、タツノオトシゴのような形をした細長い鼻のあたりにある西海岸の紗那 という町で、島全体で8,000名のロシア人居住者のうち、半数の4,000名が住む島の中心地です。
因みにかつてここには3,600名の日本人がおりました。
船酔いもなくぐっすり寝込んでしまった団員を乗せた船は、翌朝午前3時過ぎに無事、内岡沖に 到着しました。山肌に雪を残す海抜1,563メートルの散布山が、払暁の朝日を背に荘厳な姿で 私たちを迎えてくれました。

上陸後ただちに紗那のクリリスク中学校で歓迎集会が行われ、行政上所属するクリール地区 のボドリャン地区長から歓迎の挨拶を受けました。
年の頃30代と思われるこの若いエリートは、 質のよい生地の背広に身を包み慎重な言い回しながらも両国間の領土問題の一日も速い解決 を望みますと話されました。
訪問団を代表して小泉恭平団長が、元島民として自らが生まれ育った故郷への想いを語りな がら9年目を迎えた四島交流の成果が着実に前進していることを称える答礼を述べました。

子供たちは一旦帰宅して着替えをしてきたのでしょう、皆いい服を着ており表情の明るさと 相まって生活環境の豊かさを容易に想像することができました。

4.島の自然

訪問団一行61名の移動
島じゅうの車を集めてきたのでは ないかと思えるほど長い隊列を組んで移動するのですが、数えてみたら13台、全部中古車の 日本製でした。
ワゴン車ありRV車ありでバラエティーに富んでいましたが、最後尾には軍服を 着た国境警備隊員の乗った黒塗りの車が付き、監視されました。
舗装された道路はなく私達は砂利道に揺られもうもうと砂埃の中を最初の視察地、別飛へ 向かったのでした。

散布山の山裾を縫うように走る峠道沿いには、択捉島の自然が豊富に見受けられ 私達の目を和ませてくれました。水芭蕉の群落、猫柳、白樺やオンコなど北海道と同じ植生が 確認できて安堵を覚えたものでした。

気候こそ北海道と比べると約1ヶ月遅れの暖かさですが、手つかずの自然はむしろ択捉島 の方が豊富で可憐ですらありました。
人工のものが全くなく鳥の囀りもなくただ風の音だけの 世界、樹木が少なく丈の短い草だけの荒涼とした原野、50年前の日本にタイムスリップした ような錯覚を感じたものでした。
30分ほど揺られて別飛の学校に到着しました。
ロシアの学校制度は小中高一貫教育で6歳から入学し、11年生で卒業するまで同じ学校に 学びます。卒業後は本国に進学する生徒も数多く教育水準は決して劣っていないと女性校長 は胸を張って説明してくれました。

さらに20分ほど走ってから鮭鱒孵化場に案内されました。
向こう端が見えないくらい沢山並べられた水槽の中に、5センチほどの稚魚が真っ黒になって 養殖されている様は圧巻でした。
実はこの孵化場ばかりでなく水産加工場や運輸、建設、銀行を始め島のあらゆる経済活動を 牛耳っているのが新興財閥ギドロストロイ社です。
島民の7割が関係していると言われ利益を学校改修などに還元しておりますが、 社長の方針で加工場を公開してもらえなかったのは残念でなりません。

5.ホームステイ

別飛を後にし紗那の戻ったのが午後5時。 ロシア人が迎えに来てくれるのを待っていると、忘れかけていた心細さがまた、頭を もたげてきたものです。
どんな人の世話になるのだろうか、ロシア語が全くできなくとも 交流できるのだろうか。
私と同宿する士別選出の佐々木隆博道議の表情も、心なしか 曇って見えます。

私達が連れていかれたのは、ヴァロージャさんの家で平屋の四戸建てのアパートでした。
緊張の面持ちで覚えたばかりのロシア語で挨拶を済ませ、プレゼントを交換し歓迎の 夕食会が始まりました。
たまたまヴァロージャさんの友人宅に泊まることになった裏地さんと 本田さんが合流し、総勢10名の大交流会になったのです。

ここでメンバーを紹介します。
まずご主人のヴァロージャさん、漁業関係の仕事をしており身長189センチ、体重119キロの 底抜けに明るい大男です。奥さんのダーニャさんは軍のテレビ局に勤めるエンジニアで ご主人と同じ年間5,500ルーブルも稼ぐ細身の知的な美人です。
二男のワーシャ君は14歳、地元クリリスク中学校の優等生です。
長男はサンクトペテルベルクの大学に進学して不在でした。
ヴァロージャ家の友人のリエーナさんはサハリンに出張している弁護士の夫の留守を守る しっかり者です。長女のアーニャさんはワーニャ君と同級生でアンナカレーニナを彷彿させる 楚々とした可憐な美少女でした。
そして弟のアンドレイ君、6年生です。

心配していた言葉の問題はすぐ解決しました。
ダーニャさんとワーニャ君は英語を話すことができたのでこちらも英単語の記憶を総動員し、 それでも足りないところは、身振り手振りで補い、何とか意志疎通を図ることができました。
小ぶりのグラスにウォッカを注ぎ乾杯すること20回、会話ばかりか歌も飛び出した日ロ交流の 夕べは賑やかに過ぎていきました。

/northern_territories02/”>後編へ>>

Copyright(c) 2017 ren endo All Rights Reserved.