プロフィール

遠藤連プロフィール画像

氏名 遠藤 連(えんどう れん)
生年月日 昭和28年12月6日
出身地 福島県河沼郡会津坂下町
最終学歴 昭和55年3月 早稲田大学 第一文学部 中国文学科卒
事務所 〒053-0032北海道苫小牧市緑町1-26-12
連絡先 TEL:0144-33-5355 FAX:0144-33-5376

 

職  歴

昭和55年6月
~昭和59年12月
北港興業(株)
昭和60年1月
~平成2年9月
衆議院議員 高橋辰夫氏 秘書

議 会 歴

平成3年4月苫小牧市議会議員 初当選 (無所属)
平成5年5月
~平成7年4月
市議会総合開発特別委員会 委員長
平成7年4月苫小牧市議会議員 当選(2期目) 自民党推薦
平成7年5月
~平成11年3月
苫小牧市農業委員
平成11年4月北海道議会議員 初当選 自民党追加推薦
平成11年5月北海道議会 総務委員会委 員
平成11年5月北海道議会 北方領土対策特別委員会委 員
平成13年6月北海道議会 保健福祉委員会理 事
平成13年6月北海道議会 総合開発調査特別委員会理 事
平成15年5月北海道議会 議会運営委員会理 事
平成15年5月北海道議会 文教委員会理 事
平成15年5月北海道議会 少子・介護対策特別委員会理 事

公 職 等

苫小牧港管理組合議会議 長
苫小牧地区バドミントン協会会 長
錦岡地区野球スポーツ少年団顧 問
苫小牧福島県人会顧 問
茶道裏千家淡交会はまなす青年部顧 問
茶道裏千家淡交会苫小牧支部副支部長
医療法人社団 玄洋会顧 問
北海道宅地建物取引業協会苫小牧支部顧 問
学校法人 浦島学園(苫小牧澄川幼稚園)評議員
学校法人 鈴木学園(苫小牧マーガレット幼稚園)理 事
苫小牧稲門会幹 事
苫小牧卓球連盟会 長
胆振日高ダンススポーツ協会顧 問
苫小牧トライアスロン協会顧 問

政 党 歴

平成3年5月
~平成5年4月
自民党苫小牧支部政調副会長
平成3年5月
~平成7年3月
自民党苫小牧支部副幹事長
平成13年6月自民党道連副幹事長
平成13年6月自民党道連 政調会委 員
平成13年10月自民党第九選挙区支部幹事長
平成15年5月自民党 道連 組織委員会委 員
平成15年5月自民党第九選挙区支部幹事長
平成15年5月自民党苫小牧支部支部長代行

遠藤連ストーリー

生いたち

  • 私は、昭和28(’53)年12月6日、福島県に生まれました。手付かずの自然環境を相手によく遊び、農村社会の一員として、のびのび育ちました。なお子供時代の暮らしぶりについては『郷里の四季』をご覧下さい。
  • 中学生になるとサッカーをはじめました。冬はスキーの試合に出て賞状をもらったこともあります。練習で疲れても家に帰ると毎日、最低でも3時間は勉強しましたよ。おかげで成績は学年で一番でしたが、近眼になり眼鏡をかけるようになってしまいました。
  • 高校時代から文学や政治に興味を持つようになりました。父親は物理の教師でしたが、私は理数系はさっぱりだめで国語が得意でした。
  • 一浪して早稲田大学の第一文学部に進学、受験勉強から解放されて思い切り青春を謳歌しました。と言っても、学校へは行かず、新日本文学会という団体に出入りして詩作やデモに参加していたため、卒業まで7年もかかってしまいました。
  • 実はこの時北海道出身の女性と結婚し、子供ができたのです。双方の親から猛反対をくらいました。東京は子供を育てる環境には適していない、田舎に行きたいと思い、妻の実家を頼って北海道に渡ることにしました。昭和54(’79)年8月のことでした。妻のお腹には二人目の子が宿っておりました。

意外と苦労人

  • 岳父の薦めもあって苫小牧市の職員採用試験を受けました。良い成績だったらしいのですが、左翼思想の持主ということで合格することができず、職安で見つけたトレーラーの助手の仕事に就きました。半年の間、全道各地を回りましたので北海道の広さと風景や街の位置がしっかりと頭に入りました。
  • その後妻と幼い子供を抱え土木作業員として5年間従事しました。苫小牧東港、石狩湾新港、大津漁港などの港湾建設のために現場を移動しながら、文字通り真黒になって時には夜も徹して肉体労働をしました。自らの体を使って汗を流す労働の喜びを強く実感し、心身の忍耐力を養うのに多いに役立ちました。一時は自分で建設会社を経営してみようかと思ったこともあったくらいです。
  • 土木作業員をしていたころ

    ・土木作業員をしていたころ

  • ただ北海道の建設業界の特徴は、冬期間の仕事が極端に少なくなるために失業状態に追いやられ、失業保険をもらう不安定な生活を余儀なくされました。その辛い経験から、通年雇用で安定収入を得られるような足腰の強い業界に変えていかなければならないと思い、政治の世界に飛び込んで改善しようと決意したのです。
  • だからこそ、社会の底辺で生きる生活困窮者、心身に障害を持つ人たち、お年寄り、母子・父子家庭の子どもなど、社会的な弱者に対する思いは人一倍強く持っているのだろうと思います。

町内会の皆さんも応援、市議会議員へ

  • 知人を介して地元選出の衆議院議員の秘書になりましたが、ここで政治や行政の仕組みやその機能などを勉強することができました。その後、たまたま平成2年の総選挙で私がついた代議士が落選してしまったため、将来の進路について悩んだのですが、多くの方々の薦めもあり、苫小牧市議会議員選挙に出馬することになりました。平成3年のことで、苫小牧にやってきてからわずか10年少々しかたっておりませんでした。
  • ここで、地盤、看板、鞄のいずれもない私の支援に立ち上がって下さったのは、隣近所の澄川町内会の皆さんたちでした。「土木作業員から叩き上げて、ここまで頑張ってきた遠藤を何とか市政の場に」と、熱烈に応援してくださいました。そして青年会議所の仲間や歯科医師会の皆さんも全面的にバックアップをして下さったおかげで、2396票、7位の好成績で初当選を飾ることができました。
  • 市民の期待に応えるよう誠実に勉強、活動を続けました。2期8年の市議会議員の経験と応援してくださった皆様が、わたくしを政治家としてたくましく育ててくれました。有難いことに市議会の中でも「政策通の論客、若手のホープ」と言っていただけるようになりました。

橋 浪蔵 道議の後継として即戦力を発揮

元北海道議会議員 橋 浪蔵先生と

・元北海道議会議員 橋 浪蔵先生と

  • 平成11年4月、いつも何かと指導・応援を下さっていた橋 浪蔵道議が引退することになり、その後継者として私が指名いただきました。初めての道議選とあって大変厳しい戦いでしたが、17,000名余の支持をいただき、見事当選することができたのです。

時代に先駆ける政治家を目指す

  • 道議会では政策審議委員会に所属し、苫東問題や新千歳空港からのJR延伸をとりあげました。さらに苫東のリサイクル基地化や少子化対策、福祉のまちづくり、環境に配慮した河川づくりと漁場の保護を次々にとりあげてまいりました。強い問題意識を持ち、日々勉強を重ね、政策提言や予算獲得に積極的に活動してまいりました。
  • 地元苫小牧を政策や活動の拠点に据え、年4回の定例道議会ごとに自ら執筆している
    未来とまこまい」と題する道政だよりを発行、後援会メンバーなどに配り、細かに道政報告を行っています。
  • また、時間の許す限り朝の通勤時間に苫小牧市内の街頭に立ち、道政報告とともに政策についての考え方、苫小牧の街づくりに関する提言などについて語りかけております。ここでも忙しい時間にも関わらず、足を止め聞いてくださる市民の方々を見て、決意を新たにしております。
  • 議員提案し可決された、たばこの吸い殻や空き缶のいわゆる「ポイ捨て禁止条例」も私が深くかかわってまいりました。議員の役割として、行政のチェックも重要ですが、政策実現こそ議員の存在意義を問われる最重要の課題だと思っています。
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