2007年 9月

総裁選

2007-09-26

9月12日、安倍総理大臣が突如として退陣表明を行った。7月の参院選で敗北を喫しながらも解散総選挙ではなく、内閣改造によってこの難局を乗り切ろうとし、その初舞台となる臨時国会が10日から始まったばかりであった。冒頭の所信表明演説において、安倍首相はイラク特措法をはじめ、内外の諸問題の解決に強い意欲を示した矢先の辞任であった。

誰の目にも政権を投げ出したとしか映らなかった。私は、体の力が抜けてしまったような脱力感を味わった。安倍首相は私の一歳年下だ。長州(山口県)の出身であることは別にして、同世代の人間としてのシンパシーもあった。しかしながら、よほどの事情があったにせよ、あまりにも突然の辞任には無責任さを感ぜずにはおれなかった。

かくして、自民党は国会を中断して、新しい総裁を選ぶ作業に着手した。以前から意欲満々の麻生太郎幹事長が名乗りをあげた。国民には予想外に映った福田康夫元官房長官の名前が浮上し、ほどなくして本人が手を挙げる頃には八つの派閥が推薦を決めていた。立候補を検討していた額賀財務相は、流れに呑みこまれるように出馬を見送ることになった。一方、麻生陣営は国会議員票の不利を挽回すべく、知名度を頼りに地方票の獲得に奔走した。私の自宅にも本人から直接電話がかかってきた。ただ、国会議員票が387、地方票が141と国会議員票が圧倒的に多いだけに不利は否めなかった。私の心配事はただ一つ、国会議員と地方支部が違う人物を選んだ時のことだ。民意は地方票に如実に表れるのであって、国会議員票は永田町の独特な論理で動く。永田町の論理が、民意と一致しないこともあり得る。そうなればいよいよ自民党は終わりだろう。参院選で表面に出たのは年金や政治とカネの問題であったが、真相は自民党の政治家が民意とかけ離れていることに対する国民の痛烈な批判であったはずだ。このたびの総裁選、自民党としては民意を受けとめる党なのかどうか、国民の信頼を回復できるのかどうか、党の存亡をかけた瀬戸際の戦いなのだ。

最も悪いタイミングで辞任し、国会を休んでまで実施された総裁選に対して、国民の批判や無関心は相当なものかと思っていたら、意外にも関心は高かった。東京、渋谷、大阪、高松、仙台での街頭演説会には、どこも万を超える聴衆が押しかけた。もちろん、動員をかけた訳ではない。自民党員は数えるばかりで、圧倒的に無党派の国民が多かった。タレントなどと比べてアピール度の高い候補者たちではないだけに、なぜ

そんなに盛りあがるのか不思議でならない。本当に無党派層の動きはつかみにくいものだ。

9月23日、自民党本部で行われた総裁選挙に、私は北海道に割り当てられた3票のうち、1票を投じるために出席していた。自民党道連組織委員長という立場にあったため、お鉢が回ってきたのであった。事前に行った党員の意向調査において、福田氏に2票、麻生氏に1票を投じることに決まっていて、私には福田氏と書くように指示が出ていた。午後2時、党本部8階ホールにおいて党大会に代わる両院議員総会が開かれた。衆議院議員から一人ずつ壇上に出て投票が始まった。総理大臣経験者、派閥の領袖、閣僚、タレント議員などが投票する瞬間は、居並ぶ報道陣から機関銃のように一斉にシャッターが切られた。それにしても参議院の先生方は態度が悪い。私の前列には、テレビによく出演する議員が座っていたが、同僚議員の悪口を連発していた。「良識の府」にもいろんな人がいることがよく分かった。参議院議員が終わり、いよいよ地方代表の番だ。まずまっさきに北海道が呼ばれ、われわれ3人が壇上に進んだ。投票箱に票を入れる時に最前列に並んでいた海部俊樹氏、小泉純一郎氏などの首相経験者がチラリと見え、私は思わず礼をしてしまった。この様子はテレビを通じて放映されたと見え、後日、見たよ、行ってたんだねという言葉を多くの人からかけられた。

午後3時8分、臼井選挙管理委員長から結果が発表された。福田康夫君330票、パラパラの拍手とえーっという声。麻生太郎君197票、おーという声があがる。案外少なかった福田票、意外にも多かった麻生票という反応ではなかったか?当選を告げられた福田康夫新総裁は拍手の中を立ち上がり、口元を引き締めながら会釈のような礼を前側と後側に二度した。表情の動きやアクションが極めて小さい人タイプの人で、落ち着いた印象を与える反面、迫力や面白みに欠けるきらいがある。生え際の白髪が少し浮いた様子は、準備の余裕すらなかった総裁選のあわただしい訪れを物語っているようだった。壇上の挨拶でも、両手を前で組み、校長先生が式辞を述べるように淡々と話した。安倍前総裁、小泉元総裁とは全く違うタイプの宰相が誕生した瞬間に、私は立ち会うことができた。おそらく、今後二度とないであろう人生で初めての経験に感慨深いものがあったが、新しい総裁からは以前経験したことのある古い政治家の雰囲気を感じたのはなぜであろうか。

総裁選挙が終わって外に出た。驚くべきことに「麻生」と書いたプラカードを持った若者たち200名ほどが、サッカーのサポーターのように声を揃えて叫んでいた。この人たちの選択が民意の現れなのか、自民党の選挙結果が正しく民意を現していたのか、正解はあと1年以内に判明することになるだろう。

ポスト・サラブレッド

2007-09-25

暑い夏が過ぎ、秋競馬の時期が到来した。休養中の馬もターフに戻ってくる。これから年末の最終戦、有馬記念まで中央競馬はGIレースを中心に白熱した勝負が展開され、大きな盛りあがりを見せることだろう。しかし、残念ながら中央競馬と言えども売り上げの下降は止まっておらず、レジャーが多様化する中、競馬の生き残りを賭けた戦いは激しさを増す一方である。いわんや地方競馬の現況はさらに厳しい。かつては全国で25もあった地方競馬は赤字続きで廃止が相つぎ、最盛期に今や16にまで減ってしまった。特に馬という生き物を競わせるギャンブルは、関係する者が多方面、多人数に及ぶだけに営業成績の浮沈が与える影響は大きい。特に北海道はわが国最大の馬産地だけに、近年の退潮傾向のダメージをモロに受けて苦しんでいる。

北海道のサラブレッドの生産頭数は、平成17年で約7,700頭であり、全国の95%を占めている。そのうち日高管内だけで約6,600頭が生産されており、さらにその中で繁殖牝馬が10頭以下の零細牧場が四分の三を占めているのが実態だ。こうした零細牧場から生産される競走馬の最大の供給先は地方競馬であることから、廃止の影響を最も強く受けることになる。多額の負債を抱え、後継者もなく、作物転換もままならず、追われるように郷里を後にせざるを得ない人もいると聞く。時代の曲がり角にさしかかり、経済環境の変化に対応した経営の転換が求められているのに、今だに一獲千金の夢をあきらめきれずに、ずるずると深みにはまっていく話も聞く。永らく地方競馬問題に関ってきた者として、私は今こそ馬産地の改革を果たさなかったら地域経済そのものが崩壊しかねないという厳しい現実に真摯に向き合いたいと思っている。ここでは、ポスト・サラブレッドの有力策として、牧羊の可能性を提言してみたい。

馬は虫に弱い動物である。虫が多い内陸部よりは潮風がガードしてくれる海辺の方が、馬の生育環境に適している。従って日高管内のえりも町から門別町(現在の日高町)の海沿いに牧場が多数造成されてきた。ところが内陸部に入った所にある平取町は、海に近い南側の一部に牧場があるだけで、あとは野菜や花きをメインにしている。さらにその北側にある旧日高町にはサラブレッドの牧場はない。ここに何かヒントはないのだろうか。日高管内の農家のほとんどが軽種馬生産に切り換えていった時期に、環境が適合しなかったためにトマトや花を栽培しようとしたその発想を、今こそ見習うべきではないかと思うのだ。

幸いにも産地では牛や豚、野菜、果樹への転換が進められているようだが、まださほどの広がりはないようだ。そこでひとつ提案がある。サラブレッドに替わって羊の飼育に取り組んだらどうか。これにはいくつかの理由がある。

三國清三氏は増毛町生まれの日本を代表するシェフであり、日本全国にレストランを展開している。彼の部下の調理人が、いい羊肉を欲しがっているという話を聞いたことがある。羊肉はそのヘルシーさが評判を呼び、以前のような独特な臭みもなくなったことから、今全国的にブームを巻き起こしている。しかしそのほとんどはオーストラリアかニュージーランド産であり、国産は上質で美味だが、生産量が少ないため値段が高すぎてとても手が出ない。焼尻島産の子羊のソテーが、銀座のレストランでは八千円もするのだそうだ。なんとか、国産のおいしくて安い羊肉を生産して欲しいと言っていたというのだ。そう言えば思い出すことがある。

子供の頃、私の実家では羊を飼っていた。羊ばかりでなく、山羊も飼っていた。祖父が農業のかたわら面倒をみていたもので、山羊からは乳を搾り、羊からは暖かいセーターの原料となる毛糸をとっていた。堆肥にすれば田畑の作物のいい肥料になった。それ以前は牛や馬を飼っていた記憶がおぼろげながらあるが、多分、耕運機の普及によって農耕に使われなくなってからは売りに出され、替わりに羊や山羊の小動物が飼われるようになったのだろう。

山羊の乳はおいしかった。味にクセがなく、淡白でありながら滋養に満ちていた。私はその山羊の乳で育ったようなものだ。一方、羊はおとなしい動物だ。黙々と草を食べ、あまり手がかからず、忙しい農家にとっては飼育しやすかった。年に1~2頭の子を産み、きれいなウェーブのかかった輝くばかりの羊毛を刈り取らせてくれる。祖父は家畜の飼い方が上手だったようで、毎年、秋の品評会では優勝していた。その記念に、いつも会場の中でやっているジンギスカンを食べさせてくれた。山間の盆地で暮らし、冷蔵庫もなく、動物の肉などめったに口にしたことのない時代に、羊肉の味は格別であった。つい先程まで飼育していた羊が売られていったことなどすっかり忘れて、私はむさぼり食べた。七輪の上に、鉄兜を伏せたようなおわん型の鉄板の上で肉を焼き、ニンニク醤油につけて食べる。まったりしていながら刺激的な味は今でも忘れることができない。ジンギスカンの本場、北海道に来てからもいろんな店で賞味した。けれども今だにあの味に巡り合うことができないでいる。

食べるものが少なかった私の子供の頃から、飽食の時代を経て、今は選食の時代に変わった。うまいものは多少値が張っても行列ができるくらいよく売れる。牛肉や豚肉に飽き足りない人たちが、羊肉の魅力にはまったとしても不思議ではない。そのくらい羊肉には深い味わいがあるのだ。

羊のいい所はまだ他にもある。羊は別名、草原の掃除屋と言われるくらい草をきれいに食べる動物だ。それに比べて馬はいい所ばかりをつまむようにしか食べないから、一緒に放牧すると隅から隅まできれいになるのだそうだ。そうすると牧草の世代交代がスムーズにいき、いい牧草地になるとのことだ。

また、日高の軽種馬農家はもともと稲作や畑作を営んでいたものを、収益性が高いとのことで軽種馬に転換してきた。それをまた水田や畑に戻すのには、とてつもなく大きな資金と労力が必要となってくる。羊の飼育は既存の設備をそのまま活用できるので、手っ取り早い。

ただ問題もいくつかある。羊を飼育するノウハウがないことだ。たとえば、羊は牛や豚に比べると小柄なのでとれる肉の量が限られてくる。従って一定量を確保するためには、何千、何万という頭数を飼育しなければならない。さらに野犬対策もある。病気も出るだろう。そうした様々な問題を解決するためのノウハウや経験の蓄積がない。しかし、生物を飼育する時には困難がつきまとうのは当然だ。なにより需要は十分ある。牧草地も牧柵もそのまま使える。今こそ馬ではかなわなかった夢を羊で果たしてみるという、前に進む勇気が必要な時期ではないだろうか。

道央道を札幌に向かって走ると、恵庭インターチェンジの側に、羊や牛を飼育する牧場ができた。広大な草むらの緑と、数多くの羊の白が鮮やかなコントラストとなってドライバーの眼をなごませてくれている。あまりにも牧歌的な風景こそ、北海道ならではのものではないだろうか。日高地方のなだらかな丘陵にも羊たちがのんびりと草をはむ風景が誕生すれば、馬文化と共存する羊文化の拠点として、北海道観光における新たな名所が誕生することになるのだ。

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