あずましくない

2014-03-05

昭和54年の夏、東京から北海道にやって来て30年が経った。 生家の会津に18年、学生時代を過ごした東京に8年いたから、北海道が一番永く生活した場所になった。 来て間もない頃は、まず気候の違いに驚いた。 東京では夜中でも25度を下回らない(熱帯夜)日が続くのに、苫小牧では日中でも20度を超えることすらまれであった。 たまに20度を超えると、あついあついと大騒ぎになった。 25度になろうものなら死ぬという言葉さえ聞かれた。30度の世界に慣れていた私にとってあついどころか逆に涼しいと感じており、土地の人たちの反応が不思議でならなかった。 エアコン冷房なんて北海道では絶対必要ないと思っていた。 しかし、3年も経つと体に変化が現われてきた。涼しかった夏もあついと感じるようになってきた。 冬場のマイナス20度の世界を体験すると、夏場の20度でもあつく感じるようになる。 こうして、私の体は徐々に北海道仕様に変わっていったようである。

ことばにも少しばかり戸惑いを覚えることがあった。 東京で北海道の人は標準語を使いなまりがないという評判を聞いていたから少しばかり構えていたが、日常会話に方言が多用されているのには驚いた。東北出身の私はほっとするものを覚えてしまった。 例えば、語尾に「べさ」ついたりする。 田舎の方言の代表格とも言うべき「べ」を平気で使う土地は、少なくとも都会ではないということが確認され安堵した。 また語尾に「ないかい?」をつけることもある。 これは疑問を呈しているわけではなく、断定すべきところを疑問系にすることで化し同意を求めているのである。 現代流に言うところの「じゃないですか?」と同じ用法であるが、単純化、省略化、短縮化の進む都会風のことばとちがって、方言に残る古い言い回しを発見したような思いだった。
来道してほどなくして、トレーラーの助手や建設現場で働くようになった私にとって、東京ことばを使うより生まれ育った会津弁を使うことの方が、コミュニケーションをとりやすかった。 東京生活8年間で田舎者と悟られないため苦労して身につけた標準語を、私はすぐ捨てた。

それにしても北海道弁は面白い。 物を交換することを「ばくる」、目にゴミが入ってごろごろしている時「いずい」と言う。 「いずい」は、精神的に気がかりなことや、理に合わない状態が続く時も使う。 でもこれらのことばはいったん意味がわかってしまうと話すことも容易である。 そういう意味で一番難しかったのは「あずましい」である。 「あずましい」は否定形の「あずましくない」という使い方も多い。 どういう時に使うのか? 対象や雰囲気がいい状態にあることと、そういう環境にいる自分が精神的に落ち着いていられるような時に使われる。 相手、周囲、環境、雰囲気など対象の状況に対する判断と、それを受けた自分の判断の両方を表現するのである。
例えば近所の子供達が自分の家に遊びに来て、走り回って騒々しい時、普段と違って落ち着かなくなる状態を「あずましくない」と言う。 旅行で慣れないホテル暮らしをして不自由な思いをした時「あずましくない」と感じ、自宅に帰ってほっと一息ついた時、「あずましい」と思うのだ。 このように「あずましい」と「あずましくない」のバリエーションは豊富で、どういう時にこのことばが使われるのかを理解するためには、経験するしかないので時間がかかる。 そして、自分で使えるようになるには、もっと時間がかかるのである。 私は北海道弁で一番難しい「あずましい」については理解に3年、使えるのに5年かかると思っている。 「いずい」が一年もすれば使えるようになるのと比べると、段違いに難しいことばだ。

「メシ食うか?」の意味も誤解していた。 友人に誘われて初めて飯食を共にした時、次々と出されてくる料理に私は少し不安になった。 おかずばっかりこんなに沢山食べてしまったらご飯が食べられなくなると思った私は、次第に箸をつけるペースを落としていった。 食いの落ちた私を見て、友人はもう満腹になったと思ったのだろう。 次行くかと言って席を立ってしまった。 私は残された料理をもったいないと思い、満たされない腹をうらめしく思いながらも後に続くしかなかった。米処に育った私にとってメシとはご飯のことであり、おかずはあくまでもご飯を食べるための副菜に過ぎない。 おかずだけ食べて、ご飯を食べない食事なんてありえなかったのだ。 あれから30年、すっかり北海道流のメシにも慣れた。 相変わらずおかずばかりを食べるものだから、体に脂肪がたっぷりついてしまった。 一汁一菜とは言わないまでも、あまりにも贅沢なおかずが豪華に並ぶ北海道の食卓を考え直す必要はないのだろうか?
話はわき道にそれるがこの日、友人と別れて帰宅する時、どうにも空腹に耐えられなくて、居酒屋に入った。 メニューを見ると「いずし」と書いてある。 寿司か何かの変形なんだろうと思い込んで注文した。 出てきたのはなんと寿司どころか、鮭の切り身とキャベツの漬物に糀がかけられたものであった。 何これ?と聞いたら主人はいずしだよ、と平然と答える。 それでも無理に口に入れたが、期待感が外れたことと食べたことのない酸味に落胆してしまい、あれ以来いずしは苦手である。 漬物は野菜だけでつくってほしい。 魚は絶対入れないでほしいと私は願っている。

そんないずしのおいしさがわからないとは何とも残念なことだ。 ところが北海道で生まれ育った娘はこのいずしが大好きらしい。麹や糠は乳酸菌を発酵させることで長期保存を可能にするとともに、乳酸菌をチーズやヨーグルトから摂取するよりも日本人の体に合っていてとても理にかなっていると言う。我が家の食卓に、あまり上ることのなかった料理が好きになるとは、どうしたことか?なにかあずましくない感じだ。

道央圏はひとつ ~このままでは苫小牧の発展が望めない~

2008-03-02

1.またもや分断

下の地図をご覧下さい。
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昨年11月に道が示した新しい支庁の区割り案です。これによりますと、現在14ある支庁を9つに再編し、名称も新たに「総合振興局」と変えることになっております。 そして、私達の苫小牧市は「日胆総合振興局」に所属することになっております。わかりやすく言えば、胆振支庁と日高支庁の合併案です。
私は、苫小牧の将来を考えた時に本当にこれがあるべき姿なのか疑問を持っています。苫小牧が、千歳市、恵庭市や札幌市など道央圏内の都市との連携を模索している時、行政上分断されてしまうことが、わが街にとって、いや、北海道の発展にとっていいことなのでしょうか?
私は断じて、ノーと言いたいのです。その理由をこれから述べて参りますので是非ともご理解いただきたいと考えております。

2.広域連携こそ将来の発展の道

私はかねてより、将来苫小牧は千歳市と合併し、空港と港湾を核として、北海道経済の戦略拠点をつくるべきだと主張して参りました。 残念ながら、様々な事情があって思ったように合併事業は進んでおりませんが、ものづくり産業の進出が相次ぎ少しずつ集積が高まっており、経済活動の面からは垣根を越えた展開が進んできております。 こうした動きに呼応して、最近では、経済界を中心に広域都市をめざした連携の動きが高まってきております。
これは近い将来、大きな成果をもたらすことになるでしょう。なぜかと言いますと、道州制特区推進法による権限委譲を受けることができれば、苫小牧港湾区域と新千歳空港区域を経済特区として指定し、設備投資や輸入品などに対する課税の減免措置を行い、企業進出を活性化させることができ、企業誘致に大きなはずみがつくことになるからです。

平成18年度、苫小牧に立地、進出した企業は29社、19年度は昨年末までで13社(苫小牧市調べ)あり、もっと集積を高めていくことができれば、より不況に強い自立型の経済構造をつくることが可能になるのです。

3.両市の連携を阻んできた支庁の壁

ところが、苫小牧と千歳の間には、以前から大きな壁がよこたわっておりました。それは支庁がちがうということです。

道行政は支庁を通してそれぞれの地域にあった政策が展開され、支庁単位で都市計画、基盤整備などが実施されてきました。支庁が異なるということは、まちづくりの面ばかりでなく、両市民間の交流の上でも大きな阻害要因になってきたのです。

今、道行政の重要課題のひとつに支庁制度改革があります。明治の後半に制定された現行の14支庁体制を大胆に再編しようとする試みです。 当初は、石狩、空知、後志、胆振、日高の5支庁は道央圏として一つにまとまる形になっておりました。
ところが一極集中を助長し格差を拡大するなどの理由で三つに分けられ、苫小牧と千歳の間の大きな壁が復活していたのでした。

道の案は、人口、面積、市町村数や、住民間の結びつき、国などの行政機関の所管区域などを総合的に検討した結果、こうなったとのことでした。 そんな統計的な数字の上からの区割りならなんの意味も効果もありません。時代の流れに逆行し、地域のためにはどうするのがいいのかという、一番大事な視点がきれいに欠けていたのです。

4.なんとしてもとり払わねば!!

2月4日、道州制・地方分権改革等推進調査特別委員会で私は、企画進行部長相手に、「何故苫小牧と千歳を分断するのか?知事は道央圏を一つのものとして整備すると言っているのに矛盾するのではないか?」と質問しました。
またこれに先立ち、1月31日には苫小牧商工会議所から道の区割り案について、ものづくり産業の集積や物流などの面から承服できないとする要望書が道に対して提出されました。 これに対して道は、産業政策と行政サービスは別ものであり、支庁が違っても実現は可能との見解をしめしました。でも、おかしくないでしょうか? 私も経済界も経済面の要望のみを申し上げているのではなく、行政面でも市民生活の上でもあらゆる面で一体化した方がもっと発展の可能性を拡げられると言っているのです。それを、何故に分けようとするのでしょうか?
皆さん。一度支庁の境界が決まってしまったら50年、もしくは100年も続いてしまいます。苫小牧の発展、いや北海道の発展を阻害しようとする案に賛成できますか?私は、この道案を変更させるまで不退転の決意で臨んで参ります。
今後、この問題には特に注意を払っていただくとともに、皆さんにも是非ともご理解をいただきたいと思います。

道議会は“八百長”か?

2007-11-02

9月18日に開かれた政府の地方分権改革推進委員会において、片山善博前鳥取県知事(現慶応大学大学院教授)は地方議会を「八百長」とか「学芸会」をやっていると痛烈に批判した。八百長という意味は「結果を決めてから試合をすること」であり、学芸会というのは「シナリオを決めて、それを読みあうということで、一字一句すりあわせをしたのを読む」ことだと言っている。さらにこういうことの「一番ひどいのは北海道」であり、「前日の夜に、全部翌日の質問と答弁を決めて、答弁に次ぐ再質問を決めて、お互いにそれをすりあわせをして、それから議会へ臨む」ようなことをやっていると報告した。

こうしたセンセーショナルな発言は早速新聞などで大きく取りあげられ、議会関係者はもとより多方面に大きな反響をまきおこすことになった。まず北海道議会は地方分権改革推進委員会に対して議長名の申入れを行って抗議の意志を表明した。申入書によると「知事等と議会との適切な緊張関係を保ちつつ、かつ、責任ある議会議論を深めるため、質問の趣旨などについて、意見交換を行って」いるのであって、片山教授の言うような八百長とは異なるものだと反論している。また高橋はるみ知事も「不愉快だ。責任を持った答弁をするには一定の意見交換は必要だ」というコメントを出した。一様に、片山教授の発言に対しては、失礼であり憤懣やるかたないというトーンであった。

私は、議会運営委員長という議会の流れや形をつくるセクションの責任者という立場で、この問題に対する意見を述べてみたい。
まず事実関係についてである。片山教授の「北海道議会は前日の夜に全部、翌日の質問と答弁を決め…すり合わせをして、それから議会へ臨む」という発言は間違いだ。今はそんなことは行われていない。私の経験で言うと、私の一期目の平成11年から平成15年までは片山教授が指摘するようなすり合わせや答弁調整が行われていた。「てにをは」から接続詞にいたる一字一句まで、議会側と理事者側との間で了承されないうちは、審議に入ることができなかった。そのため、何故議会がストップしているのかわからない議員が、廊下をウロウロ歩き回っていたり、時には朝まで待ちぼうけをくわされることもあった。あるベテラン議員などは、いつ議会が始まるか読めないうちは一人前とは言えない、今日は動かないよ、などと得意気に話したりしていたものだ。

しかし、平成15年、高橋知事になってからそれまでの全面的なすりあわせや答弁調整は廃止され、議論の趣旨に限った意見交換に切り換えられた。できあがったシナリオを読み合うのではなく、生に近い議論が交わされるようになったのである。その結果、野党などの質問に対する答弁において、準備が整わないために答弁が出来ず、議場で待たされたり、休憩がとられたりする場面がでてきた。火花を散らすような議論が、少しずつ出てきたのである。道民に見えずらい所ですり合わせをしたり調整をして結論だけを重視するのではなく、議論のプロセスを公開しながら問題点、対立点を明らかにしていく姿勢は従来の道議会には全くなかったものであった。

蛇足かもしれないが、片山教授は地方議会を学芸会と評した。理由は「シナリオを決めて、それを読み合う」からだそうだが、大概の学芸会はシナリオを読んだりしてはいない。読む段階から先に進んで、セリフを暗記して話し、さらに演技もつけている。だから、学芸会に対して失礼ではないか?

片山教授は、さらに八百長とも評している。ここで言う八百長というのは「結果を決めてから試合をする」という意味で使っている。広辞苑によると、八百長という言葉の本当の意味は「一方が前もって負ける約束をしておいて、うわべだけの勝負を争うこと、なれあい勝負」、さらに「転じて、内々示し合わせておいてなれあいで事を運ぶこと」とある。私は、一般的に八百長という言葉が、スポーツやギャンブルにおいてインチキやイカサマをやることを現していることからすると、議会議論を不正の行われた勝負事に例えたことが適切だったかどうかということに疑問を持つものだ。この意味においては議会のプライドを傷つけたと言われても仕方がない。

さらに、北海道議会では激しい議論の末、知事の提案事項が修正されたり、極端な場合は廃案になったりするケースもある。必ずしも理事者側のペース通りに進んでばかりいるのではない。数は少ないかもしれないが、こうした点に対する注意が向けられていない。一方的に地方議会のていたらくを批判するばかりなのだ。例をあげると、自分の住んでいる町に通学できる高校がなくなってしまう地域に対する通学補助金を、当初15,000円を越える分を支給するとした道に対して、激しい議論がなされた結果、12,000円を超える分に修正されている。厳しい財政状況下ではあるが、通学者の負担増に配慮した結果だ。本道固有の支庁制度を今後どう変えていくか、という問題についても、道案を根底から覆すようなやりとりが行われている。地域の将来に関わる重大問題であるだけに、議員は皆必死でとりくんでいる。
議員提案の条例作りにもとりくんでいる。議員はそれなりに努力しているのだ。なのに全否定されることは納得がいかない。

とは言っても、道民の目から見て、意見交換と答弁調整の違いがわかるだろうか? 質問する議員と答弁書をつくる担当職員が、議会の始まる前にやり取りしている姿は全く変わらない。加えて意見交換の時に示される答弁書は、一応要旨となっているが、本番で読みあげられる文章の末尾が省略されている程度でほとんど変らないものだ。内部の者が変わったと思っても外部の者からはさほどでもないとすれば、変ったことにはならない。ただ、だからと言って一気に片山教授が鳥取県知事時代にやったノー原稿のやりとりがいいのか?私はそうは思わない。筋書きのない議論は、何がとびだすかわからない面白さはあるが、内容の濃い論議ができるかどうかの保証はないからだ。後でテープを起こしてみると、感情に走り過ぎて案外中身のない議論に終わっていることも多い。スリリングでドラマチックであることと、いい議論ができるかどうかは、イコールではないのだ。従ってこの際、事前の議論をペーパーに書いたものでやりとりするのをやめたらどうか?書くから細部にわたるすり合わせが可能になるのだ。書いたものがなければすり合わせは発生しない。

かつて論客でならした室蘭市選出の故小野秀夫道議は、質問前のペーパーでのやりとりをやめ、審議に臨んだそうだ。自分の質問に対する答弁を20通りほど想定し、それらひとつひとつに対する再反論を準備することによって、自身の勉強と理論構築に励んだ。将棋の読みのような想定問答に膨大な時間を費やしながら真剣に努力する先輩議員の姿を思い浮かべると、強い感銘を覚えるものだが、ペーパーを介在させないという手法は、これから取り入れても十分通用すると思っている。

総裁選

2007-09-26

9月12日、安倍総理大臣が突如として退陣表明を行った。7月の参院選で敗北を喫しながらも解散総選挙ではなく、内閣改造によってこの難局を乗り切ろうとし、その初舞台となる臨時国会が10日から始まったばかりであった。冒頭の所信表明演説において、安倍首相はイラク特措法をはじめ、内外の諸問題の解決に強い意欲を示した矢先の辞任であった。

誰の目にも政権を投げ出したとしか映らなかった。私は、体の力が抜けてしまったような脱力感を味わった。安倍首相は私の一歳年下だ。長州(山口県)の出身であることは別にして、同世代の人間としてのシンパシーもあった。しかしながら、よほどの事情があったにせよ、あまりにも突然の辞任には無責任さを感ぜずにはおれなかった。

かくして、自民党は国会を中断して、新しい総裁を選ぶ作業に着手した。以前から意欲満々の麻生太郎幹事長が名乗りをあげた。国民には予想外に映った福田康夫元官房長官の名前が浮上し、ほどなくして本人が手を挙げる頃には八つの派閥が推薦を決めていた。立候補を検討していた額賀財務相は、流れに呑みこまれるように出馬を見送ることになった。一方、麻生陣営は国会議員票の不利を挽回すべく、知名度を頼りに地方票の獲得に奔走した。私の自宅にも本人から直接電話がかかってきた。ただ、国会議員票が387、地方票が141と国会議員票が圧倒的に多いだけに不利は否めなかった。私の心配事はただ一つ、国会議員と地方支部が違う人物を選んだ時のことだ。民意は地方票に如実に表れるのであって、国会議員票は永田町の独特な論理で動く。永田町の論理が、民意と一致しないこともあり得る。そうなればいよいよ自民党は終わりだろう。参院選で表面に出たのは年金や政治とカネの問題であったが、真相は自民党の政治家が民意とかけ離れていることに対する国民の痛烈な批判であったはずだ。このたびの総裁選、自民党としては民意を受けとめる党なのかどうか、国民の信頼を回復できるのかどうか、党の存亡をかけた瀬戸際の戦いなのだ。

最も悪いタイミングで辞任し、国会を休んでまで実施された総裁選に対して、国民の批判や無関心は相当なものかと思っていたら、意外にも関心は高かった。東京、渋谷、大阪、高松、仙台での街頭演説会には、どこも万を超える聴衆が押しかけた。もちろん、動員をかけた訳ではない。自民党員は数えるばかりで、圧倒的に無党派の国民が多かった。タレントなどと比べてアピール度の高い候補者たちではないだけに、なぜ

そんなに盛りあがるのか不思議でならない。本当に無党派層の動きはつかみにくいものだ。

9月23日、自民党本部で行われた総裁選挙に、私は北海道に割り当てられた3票のうち、1票を投じるために出席していた。自民党道連組織委員長という立場にあったため、お鉢が回ってきたのであった。事前に行った党員の意向調査において、福田氏に2票、麻生氏に1票を投じることに決まっていて、私には福田氏と書くように指示が出ていた。午後2時、党本部8階ホールにおいて党大会に代わる両院議員総会が開かれた。衆議院議員から一人ずつ壇上に出て投票が始まった。総理大臣経験者、派閥の領袖、閣僚、タレント議員などが投票する瞬間は、居並ぶ報道陣から機関銃のように一斉にシャッターが切られた。それにしても参議院の先生方は態度が悪い。私の前列には、テレビによく出演する議員が座っていたが、同僚議員の悪口を連発していた。「良識の府」にもいろんな人がいることがよく分かった。参議院議員が終わり、いよいよ地方代表の番だ。まずまっさきに北海道が呼ばれ、われわれ3人が壇上に進んだ。投票箱に票を入れる時に最前列に並んでいた海部俊樹氏、小泉純一郎氏などの首相経験者がチラリと見え、私は思わず礼をしてしまった。この様子はテレビを通じて放映されたと見え、後日、見たよ、行ってたんだねという言葉を多くの人からかけられた。

午後3時8分、臼井選挙管理委員長から結果が発表された。福田康夫君330票、パラパラの拍手とえーっという声。麻生太郎君197票、おーという声があがる。案外少なかった福田票、意外にも多かった麻生票という反応ではなかったか?当選を告げられた福田康夫新総裁は拍手の中を立ち上がり、口元を引き締めながら会釈のような礼を前側と後側に二度した。表情の動きやアクションが極めて小さい人タイプの人で、落ち着いた印象を与える反面、迫力や面白みに欠けるきらいがある。生え際の白髪が少し浮いた様子は、準備の余裕すらなかった総裁選のあわただしい訪れを物語っているようだった。壇上の挨拶でも、両手を前で組み、校長先生が式辞を述べるように淡々と話した。安倍前総裁、小泉元総裁とは全く違うタイプの宰相が誕生した瞬間に、私は立ち会うことができた。おそらく、今後二度とないであろう人生で初めての経験に感慨深いものがあったが、新しい総裁からは以前経験したことのある古い政治家の雰囲気を感じたのはなぜであろうか。

総裁選挙が終わって外に出た。驚くべきことに「麻生」と書いたプラカードを持った若者たち200名ほどが、サッカーのサポーターのように声を揃えて叫んでいた。この人たちの選択が民意の現れなのか、自民党の選挙結果が正しく民意を現していたのか、正解はあと1年以内に判明することになるだろう。

ポスト・サラブレッド

2007-09-25

暑い夏が過ぎ、秋競馬の時期が到来した。休養中の馬もターフに戻ってくる。これから年末の最終戦、有馬記念まで中央競馬はGIレースを中心に白熱した勝負が展開され、大きな盛りあがりを見せることだろう。しかし、残念ながら中央競馬と言えども売り上げの下降は止まっておらず、レジャーが多様化する中、競馬の生き残りを賭けた戦いは激しさを増す一方である。いわんや地方競馬の現況はさらに厳しい。かつては全国で25もあった地方競馬は赤字続きで廃止が相つぎ、最盛期に今や16にまで減ってしまった。特に馬という生き物を競わせるギャンブルは、関係する者が多方面、多人数に及ぶだけに営業成績の浮沈が与える影響は大きい。特に北海道はわが国最大の馬産地だけに、近年の退潮傾向のダメージをモロに受けて苦しんでいる。

北海道のサラブレッドの生産頭数は、平成17年で約7,700頭であり、全国の95%を占めている。そのうち日高管内だけで約6,600頭が生産されており、さらにその中で繁殖牝馬が10頭以下の零細牧場が四分の三を占めているのが実態だ。こうした零細牧場から生産される競走馬の最大の供給先は地方競馬であることから、廃止の影響を最も強く受けることになる。多額の負債を抱え、後継者もなく、作物転換もままならず、追われるように郷里を後にせざるを得ない人もいると聞く。時代の曲がり角にさしかかり、経済環境の変化に対応した経営の転換が求められているのに、今だに一獲千金の夢をあきらめきれずに、ずるずると深みにはまっていく話も聞く。永らく地方競馬問題に関ってきた者として、私は今こそ馬産地の改革を果たさなかったら地域経済そのものが崩壊しかねないという厳しい現実に真摯に向き合いたいと思っている。ここでは、ポスト・サラブレッドの有力策として、牧羊の可能性を提言してみたい。

馬は虫に弱い動物である。虫が多い内陸部よりは潮風がガードしてくれる海辺の方が、馬の生育環境に適している。従って日高管内のえりも町から門別町(現在の日高町)の海沿いに牧場が多数造成されてきた。ところが内陸部に入った所にある平取町は、海に近い南側の一部に牧場があるだけで、あとは野菜や花きをメインにしている。さらにその北側にある旧日高町にはサラブレッドの牧場はない。ここに何かヒントはないのだろうか。日高管内の農家のほとんどが軽種馬生産に切り換えていった時期に、環境が適合しなかったためにトマトや花を栽培しようとしたその発想を、今こそ見習うべきではないかと思うのだ。

幸いにも産地では牛や豚、野菜、果樹への転換が進められているようだが、まださほどの広がりはないようだ。そこでひとつ提案がある。サラブレッドに替わって羊の飼育に取り組んだらどうか。これにはいくつかの理由がある。

三國清三氏は増毛町生まれの日本を代表するシェフであり、日本全国にレストランを展開している。彼の部下の調理人が、いい羊肉を欲しがっているという話を聞いたことがある。羊肉はそのヘルシーさが評判を呼び、以前のような独特な臭みもなくなったことから、今全国的にブームを巻き起こしている。しかしそのほとんどはオーストラリアかニュージーランド産であり、国産は上質で美味だが、生産量が少ないため値段が高すぎてとても手が出ない。焼尻島産の子羊のソテーが、銀座のレストランでは八千円もするのだそうだ。なんとか、国産のおいしくて安い羊肉を生産して欲しいと言っていたというのだ。そう言えば思い出すことがある。

子供の頃、私の実家では羊を飼っていた。羊ばかりでなく、山羊も飼っていた。祖父が農業のかたわら面倒をみていたもので、山羊からは乳を搾り、羊からは暖かいセーターの原料となる毛糸をとっていた。堆肥にすれば田畑の作物のいい肥料になった。それ以前は牛や馬を飼っていた記憶がおぼろげながらあるが、多分、耕運機の普及によって農耕に使われなくなってからは売りに出され、替わりに羊や山羊の小動物が飼われるようになったのだろう。

山羊の乳はおいしかった。味にクセがなく、淡白でありながら滋養に満ちていた。私はその山羊の乳で育ったようなものだ。一方、羊はおとなしい動物だ。黙々と草を食べ、あまり手がかからず、忙しい農家にとっては飼育しやすかった。年に1~2頭の子を産み、きれいなウェーブのかかった輝くばかりの羊毛を刈り取らせてくれる。祖父は家畜の飼い方が上手だったようで、毎年、秋の品評会では優勝していた。その記念に、いつも会場の中でやっているジンギスカンを食べさせてくれた。山間の盆地で暮らし、冷蔵庫もなく、動物の肉などめったに口にしたことのない時代に、羊肉の味は格別であった。つい先程まで飼育していた羊が売られていったことなどすっかり忘れて、私はむさぼり食べた。七輪の上に、鉄兜を伏せたようなおわん型の鉄板の上で肉を焼き、ニンニク醤油につけて食べる。まったりしていながら刺激的な味は今でも忘れることができない。ジンギスカンの本場、北海道に来てからもいろんな店で賞味した。けれども今だにあの味に巡り合うことができないでいる。

食べるものが少なかった私の子供の頃から、飽食の時代を経て、今は選食の時代に変わった。うまいものは多少値が張っても行列ができるくらいよく売れる。牛肉や豚肉に飽き足りない人たちが、羊肉の魅力にはまったとしても不思議ではない。そのくらい羊肉には深い味わいがあるのだ。

羊のいい所はまだ他にもある。羊は別名、草原の掃除屋と言われるくらい草をきれいに食べる動物だ。それに比べて馬はいい所ばかりをつまむようにしか食べないから、一緒に放牧すると隅から隅まできれいになるのだそうだ。そうすると牧草の世代交代がスムーズにいき、いい牧草地になるとのことだ。

また、日高の軽種馬農家はもともと稲作や畑作を営んでいたものを、収益性が高いとのことで軽種馬に転換してきた。それをまた水田や畑に戻すのには、とてつもなく大きな資金と労力が必要となってくる。羊の飼育は既存の設備をそのまま活用できるので、手っ取り早い。

ただ問題もいくつかある。羊を飼育するノウハウがないことだ。たとえば、羊は牛や豚に比べると小柄なのでとれる肉の量が限られてくる。従って一定量を確保するためには、何千、何万という頭数を飼育しなければならない。さらに野犬対策もある。病気も出るだろう。そうした様々な問題を解決するためのノウハウや経験の蓄積がない。しかし、生物を飼育する時には困難がつきまとうのは当然だ。なにより需要は十分ある。牧草地も牧柵もそのまま使える。今こそ馬ではかなわなかった夢を羊で果たしてみるという、前に進む勇気が必要な時期ではないだろうか。

道央道を札幌に向かって走ると、恵庭インターチェンジの側に、羊や牛を飼育する牧場ができた。広大な草むらの緑と、数多くの羊の白が鮮やかなコントラストとなってドライバーの眼をなごませてくれている。あまりにも牧歌的な風景こそ、北海道ならではのものではないだろうか。日高地方のなだらかな丘陵にも羊たちがのんびりと草をはむ風景が誕生すれば、馬文化と共存する羊文化の拠点として、北海道観光における新たな名所が誕生することになるのだ。

苫小牧港をスーパーハブ港湾へ

2006-01-13

苫小牧港は昭和38年に開港以来、北海道の海の表玄関として目ざましい発展をとげ、現在では年間の貨物取扱高が1億トンを超える(数字は平成16年末現在)など、北海道はもとより東北も含めて最大の港湾に成長した。 1億トンという実績は、道内の全港湾の貨物取扱高の実に45%を占めており、全国でも第4位の実績である。
港湾の発展は関連する様々な業種の伸展を促してきた。陸上の運輸部門では苫小牧に本社や出先を持つ業者の数が、全道一多い。 また、港湾が出来たことで企業の進出が活発になり、石油精製、アルミ、自動車などの日本を代表する企業の立地が進み、苫小牧港の周辺は苫東も含めて全道一の集積を誇っている。 その結果として製造業出荷額は、札幌を抜いて第1位となっている。 これからは苫小牧を含めて、千歳や室蘭との連携を深めながら、企業集積のメリットを次の発展にどうやってつなげていくかが問われるだろう。 行政のコーディネイト機能がもっと発揮されてもよいのではないか。北海道経済の致命的弱点と指摘されてきた第二次産業の弱さを克服する努力は、まだまだ続けなければならないと思う。

苫小牧港の地理的優位性

先般、私はある経済界の方から、変わった地図を見せてもらった。この地図はふだん私達が見ている北が上、南が下にある地図とは違って、ロシア側(北西)から日本を描いたものだ。つまり、位置関係が逆転しているのだ。 この地図を見ると今まで全く気付かなかったことが解ってくる。例えば、北海道と関西、九州方面を結ぶ海路を比較すると、日本海ルートがほぼ直線であるのに対して、太平洋ルートは大きく迂回しているのだ。日本海回りの方が太平洋回りよりどれだけ近いことか、一目瞭然なのだ。
現在、世界の海上物流の最大の流れは、東南アジアや日本と北米を結ぶルートである。シンガポール、香港、上海、釜山などのハブ港から出発して、日本海を通り津軽海峡を横切って北海道の太平洋側に出て、千島列島、アリューシャン列島沿いに北上して北米の西海岸に到達する。 メルカトル図法に慣れた私達にすれば、遠回りではないかと疑問をもってしまう北回りのルートこそが実は最も近く、そして海が荒れても島陰をを利用することができて安全らしい。 奇しくも、国内物流の最短最速ルートは、国際物流のルートとぴったり重なっていたのだ。この日本と世界の物流の大動脈上に位置しているのが苫小牧港である。 それも、北米側から日本に入ってきた時には玄関口に、東南アジア側から北米に向かう時は出口に位置している。だから日本で地理的に最も恵まれた場所にあるのが苫小牧港とも言える。 北米から日本向けの貨物はいったん苫小牧港に全部おろしてしまい、ここから行き先別に太平洋回り、日本海回りに区分けして配送する(内航フィーダー)、帰り船で日本各地の貨物を苫小牧に集結して北米向けの大型船に積み込む。 誰が考えても最も効率的、効果的な物流システムではないか。ところが実際はそう進んでいない。

中枢港湾になれない苫小牧港

わが国の港湾行政の位置づけからすれば、外国に対して日本を代表する港としているのが、東京湾、伊勢湾、大阪・神戸と北九州・福岡の四か所で、これらは国際中核港湾と呼ばれている。 中枢港湾と中核港湾、一字しか違わなくとも中味の違いは限りなく大きい。 A級とB級くらいの差がある。国は、苫小牧港には目もくれずに、東京、大阪、名古屋、北九州を国際物流の拠点港、つまりスーパーハブ港に位置づけた。 確かにこれらの港の背後には巨大な工業地帯があり産業が集積している。出すものも入れるものも莫大だ。 従って港湾としての存在意義は十分にあると思う。しかし、物流の側面から見た時に、コストや効率から言えば、問題がないとは言えない。 特に北九州などはいかがなものか。狭い海峡を挟んだ向こう側には、釜山や上海という巨大ハブ港湾がある。この二港はいまやライバルとして激しく凌ぎを削っているのに、そのすぐ目の前に新たなハブ港をつくる意味があるのだろうか。 中国や韓国を代表するハブ港に伍して北九州港は国際物流の激しい流れの中を、戦っていけるのだろうか。私は大きな疑問を禁じえない。
さて苫小牧港がスーパーハブ港としての機能を持つとしたら、私は日本の他港と違ってトランジット(積み替え)機能を主力としたほうがよいと考える。 苫小牧港に限らず、北海道の港湾に特徴的なことは、入れる貨物はあっても出す貨物が少ないということだ。これは製造業の弱さ、産業集積度の低さという北海道経済の根本的な問題に起因している。 つまり、背後の経済力はあまりあてにすることができない。 従って、地理的優位性を生かしたトランジットに頼るしかないと思うのだ。経済ではなくむしろ物流に主眼を置いたスーパーハブ港をつくることが、将来の苫小牧港の進むべき道であると思うのだ。

新しい発想でスーパーハブ港への昇格を

ではどうしたらスーパーハブ港への昇格が果たせるのか。自助努力の部分と、新たな取り組みの二つの方向が求められる。 自助努力については船舶の大型化に対応した大型大深水岸壁、大型ガントリークレーンなどハード面での更なる整備が求められることは言うまでもない。その上で 他港との競争に負けないための様々な努力が必要だ。いつ何時、どんな貨物でも素早く積降しができる態勢づくりが求めらる。経済界、労働界、行政などが、一体となって取り組まなければ実現は難しい。 また、苫小牧港は、東西両港があるのにもかかわらず、その機能分担が明確でない。目先の採算性や効率性に目を奪われて、将来の展望をおろそかにしてはいないだろうか。 苫小牧港を単に北海道にとってのみの主要港湾で終わらせるのか、あるいは国際物流の拠点港として展望するのか、もう一度確認したほうが良い。
また、政治的パワーを結集することも求められるだろう。中央省庁に対する発言力のある政治家を育てることとあわせて、もっと苫小牧港の優位性をアピールする作業も必要だが、ほとんど手付かずの状態だ。 地元のみならずオール北海道としての経済界あげての取り組みが求められる。
さらに、私は港湾の一部あるいはかなりの部分の運営について、新しい手法を導入すべきであると考えている。 苫小牧港の場合、港を管理運営するのは苫小牧港管理組合という行政体だが、例えば築造したターミナルのうち、岸壁などを除いて、ヤード、倉庫、クレーンなどは民間に、それも海外資本も含めた国際競争入札で任せてみたらどうか。 ハチソンなどの香港資本が苫小牧港の運営に参画するとなれば、新たな取扱貨物が増えるなど、効果が上がるかもしれない。国際競争の社会に思い切って身を投じてみる勇気が求められていると私は思っている。

北海道の将来を左右する苫小牧港

北海道は今、未曾有の財政危機に苦しんでいる。赤字債権団体への転落、すなわち自治体の「倒産」とも言うべき緊急事態に直面している。 歳出の削減に関心が集まっているが、こういうときだからこそ、私は歳入面での新しい思い切った発想の転換が必要だと思っている。 例えば、北海道は近い将来における道州制の導入を真剣に検討している。新しい制度に変わった時、真っ先に問題になるのはやはり財政運営だ。 財源をどう確保するか、最重要課題であることは間違いない。
それらの課題に貢献するのが苫小牧港であり、港の周辺の企業群である。
北海道経済を活性化するためには、リードする基幹産業の層をもっとぶ厚くしていかなければならない。 食と観光だけでは不十分だ。 もっともっとリーディング産業の幅と厚みを増していかなかったら全体としての元気はでてこない。 そんな時に港の果たす役割と価値は大きい。単に物流機能ばかりでなく、製造業はじめあらゆる方面への波及がある。だから、私は苫小牧港をもう1ランクも2ランクもレベルアップしていかなければならないと考えるのだ。

新しい北の街づくり

2005-12-20

現在、錦岡の明徳町に社会福祉法人ふれんどが、ケアハウスを建設中だ。ふれんどは医療法人社団玄洋会の姉妹法人で、道央佐藤病院が医療面でバックアップしている。 この施設の特徴は、ケアハウスだけでなく同じ敷地の中にショートステイ(短期入所)、グループホーム、デイサービス、訪問介護、居宅介護支援などの様々な機能が複合的に配置されていることにある。 来年4月にオープン予定だが、私はこの施設と、施設の目指す理念に大きな期待を持っている。

核家族化の問題点

高齢者福祉に関する国の方針は居宅介護であり在宅福祉だ。財政難から施設建設を極力抑えようという意図によるものだが、北海道にはマッチしたやり方とは言えない。なぜなら、北海道は日本一、核家族化が進んだ土地柄だからだ。家族だけでは高齢者、障害者の面倒を見る力に乏しい。本州のように3世代同居が残っているなら在宅福祉も可能かもしれないが、北海道では無理な話だ。(子育てもしかりだ。)そこで どうしても施設が必要となってくる。とは言っても預けっぱなしで良いかというとそうではない。家族との面接、食事などが、入所者にとってもいい影響を与えるので、施設の近くに住居があると行きやすくて便利だ。かくして施設は郊外から街の中心部に出ていくことになり、入所者の様々な症状に対応できるような多機能型へと変化することになる。
こんな予測から多機能、複合型の施設計画が決まったそうだ。 このコンセプトは単に高福祉時代の要請に応える形で、キメ細かく行われることを物語るばかりでなく、様々な地域課題(時には国民的課題)にも、対処しうる可能性を秘めている。 例えば、住宅が増えてくれば、都市機能の充実が求められることになり、 空き地を商業施設などに活用することも可能だ。ただ、今までの街の生い立ちと違って、あくまでも福祉を核にして街ができているので移動や人口減少の心配がない。 今どの都市でも中心部の空洞化問題を抱え、大型店の撤退や商業の衰退に悩んでいる。この原因は、経済活動や交通機能を核として街をつくってきたから、これらに支障を来すと街全体がダメージを受けてしまうことによる。でも医療や福祉を核として街をつくればそうはならない。なぜなら人間は必ずそこに世話になるからだ。特に高齢になればなおさらのことだ。一度、医療や福祉施設のそばに住んでしまうと、便利さに慣れたとえ世代が替ったとしても引っ越すことは少なくなるはずだ。
しかし、一方で家を建てることはそう簡単にできることではないのも事実だ。 そこで、新しく移住してくれる人を外部から探してきたらどうか。 時あたかも2007年問題、つまり、団塊の世代の大量退職時期を間近に控えている。経済的に比較的ゆとりのある「初老世代」に、安心便利な福祉、医療機関の近くに住んでもらうというプランはどうか。 長期間住まなくても短期、一時滞在でも良い。移住を希望する人たちには決して悪い条件ではないはずだ。

北の大地への移住促進事業

戦後の数年間、ベビーラッシュの時期に生まれた大勢の子供たちを団塊の世代と呼んでいる。この人たちは、今日まで大人数の中で鍛え抜かれた競争力と圧倒的なパワーで、戦後の歴史を色彩ってきた。 学生運動で日本をあわや転覆する寸前まで追い込んだかと思えば、日本経済発展の原動力となる企業戦士として大活躍してきた。私も、団塊の世代より少し下の世代にあたり、彼らの恐るべきエネルギーを目の当たりにしながら、後塵を拝してきた。
その彼らが、もう間もなく現役を降りようとしてる。ピークとなる昭和22年から24年生まれの人たちの数たるや全国で680万人、東京、神奈川の首都圏で110万人もいる。 彼らはきっと第2の人生に向け、新しいステージでの自分の生き方を考えているはずだ。都会に残る者、都会の周辺に行く者、全く違った土地や環境を求める者。 いずれにしても自分の人生に対して明確な意思を持ち、力強く第2の人生に突き進むはずである。 それが、彼らの世代の特徴だから。
さて、首都圏に住む団塊の世代にアンケートを実施した結果によると、北海道に住んでみたい人や季節限定でもよいから住みたいと思っている関心層は、実に8割を占めたと言う。 また別の調査によると、住みたい場所を都道府県別に聞いたら、1位は沖縄県で2位に北海道が入ったそうだ。 移住先としての北海道への関心は低くないようだ。
こんな状況を見越して、北海道では「北の大地への移住促進事業」と名づけて移住先となる市町村といっしょになり、団塊の世代への働きかけを開始した。 伊達市などはその先進地としてすでにいくつかの実績をあげており、移住、あるいは長期・短期の滞在例がでてきているようだ。
ところが、わが苫小牧はどうか。市の福祉担当のある幹部は、「高齢者は医療費などの出費が多く、効果は少ない」という理由で、移住促進事業に全くヤル気を見せていない。団塊の世代の移住による経済波及効果は約5,700億円、社会保障費等の公的負担約1,200億円という試算があるのにもかかわらず、何をもってマイナスが多いと言うのか理解できない。
期待できるのは経済効果だけではない。人口の増加は無論のこと、新しい発想、文化、教養の持ち主が移住することで、知的、精神的に地元の人々にどれだけ刺激が与えられ、活性化されることか。 企業誘致で一定期間住むことになる人達とは違った形で、街づくりや人づくりに貢献するはずだ。
一方、移住する側にも不安や悩みは沢山あるに違いない。 生活環境が一変するわけだから、土地や住民に順応できるかどうか。新しい土地で、パートナーと一緒にやっていけるかどうか。医療は?福祉は?あげればキリがない。
さらに、都会に長く住んだ人達には、様々な要望もあるだろう。 人生の充実のための旅行やスポーツ、レジャー、知的好奇心の満足、自然との触れあいや生産の喜び。少なくとも最低限の都市機能は備わっていた方が良い。 これらをある程度満たすためには、どこでもいいというわけではない。地方都市あたりに限られてくるのではないか、そう私は推測している。幸いにもわが苫小牧には、苫小牧駒澤大学という四年制大学があるし、温泉、ゴルフ場にも恵まれ、登山や農作業も可能だ。 高速道路を利用して道内各地に行けるし、空港や港にも近い。条件には非常に恵まれている。そして苫小牧への移住促進事業を展開しようとするNPO法人も活動を始めたと聞く。 活動のこれからの目標は、地域のメリットを打ち出していくことに加え、移住を望む人たちの不安や悩みをケアすることも重要になってくるだろう。
医療や福祉を核とした地域づくりという考え方はいまや、様々な問題の解決策をとりこみ、地域の条件をプラスして、都市づくりへと昇華した。私は及ばずながら、この事業を推進する原動力になろうと思っている。 たとえ地元の自治体の協力が得られないとしても北海道を動かすことはできるから、作業は可能だ。新しい北の街づくりに地方都市の将来の可能性を求めていきたいと思う。

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