あずましくない

2014-03-05

昭和54年の夏、東京から北海道にやって来て30年が経った。 生家の会津に18年、学生時代を過ごした東京に8年いたから、北海道が一番永く生活した場所になった。 来て間もない頃は、まず気候の違いに驚いた。 東京では夜中でも25度を下回らない(熱帯夜)日が続くのに、苫小牧では日中でも20度を超えることすらまれであった。 たまに20度を超えると、あついあついと大騒ぎになった。 25度になろうものなら死ぬという言葉さえ聞かれた。30度の世界に慣れていた私にとってあついどころか逆に涼しいと感じており、土地の人たちの反応が不思議でならなかった。 エアコン冷房なんて北海道では絶対必要ないと思っていた。 しかし、3年も経つと体に変化が現われてきた。涼しかった夏もあついと感じるようになってきた。 冬場のマイナス20度の世界を体験すると、夏場の20度でもあつく感じるようになる。 こうして、私の体は徐々に北海道仕様に変わっていったようである。

ことばにも少しばかり戸惑いを覚えることがあった。 東京で北海道の人は標準語を使いなまりがないという評判を聞いていたから少しばかり構えていたが、日常会話に方言が多用されているのには驚いた。東北出身の私はほっとするものを覚えてしまった。 例えば、語尾に「べさ」ついたりする。 田舎の方言の代表格とも言うべき「べ」を平気で使う土地は、少なくとも都会ではないということが確認され安堵した。 また語尾に「ないかい?」をつけることもある。 これは疑問を呈しているわけではなく、断定すべきところを疑問系にすることで化し同意を求めているのである。 現代流に言うところの「じゃないですか?」と同じ用法であるが、単純化、省略化、短縮化の進む都会風のことばとちがって、方言に残る古い言い回しを発見したような思いだった。
来道してほどなくして、トレーラーの助手や建設現場で働くようになった私にとって、東京ことばを使うより生まれ育った会津弁を使うことの方が、コミュニケーションをとりやすかった。 東京生活8年間で田舎者と悟られないため苦労して身につけた標準語を、私はすぐ捨てた。

それにしても北海道弁は面白い。 物を交換することを「ばくる」、目にゴミが入ってごろごろしている時「いずい」と言う。 「いずい」は、精神的に気がかりなことや、理に合わない状態が続く時も使う。 でもこれらのことばはいったん意味がわかってしまうと話すことも容易である。 そういう意味で一番難しかったのは「あずましい」である。 「あずましい」は否定形の「あずましくない」という使い方も多い。 どういう時に使うのか? 対象や雰囲気がいい状態にあることと、そういう環境にいる自分が精神的に落ち着いていられるような時に使われる。 相手、周囲、環境、雰囲気など対象の状況に対する判断と、それを受けた自分の判断の両方を表現するのである。
例えば近所の子供達が自分の家に遊びに来て、走り回って騒々しい時、普段と違って落ち着かなくなる状態を「あずましくない」と言う。 旅行で慣れないホテル暮らしをして不自由な思いをした時「あずましくない」と感じ、自宅に帰ってほっと一息ついた時、「あずましい」と思うのだ。 このように「あずましい」と「あずましくない」のバリエーションは豊富で、どういう時にこのことばが使われるのかを理解するためには、経験するしかないので時間がかかる。 そして、自分で使えるようになるには、もっと時間がかかるのである。 私は北海道弁で一番難しい「あずましい」については理解に3年、使えるのに5年かかると思っている。 「いずい」が一年もすれば使えるようになるのと比べると、段違いに難しいことばだ。

「メシ食うか?」の意味も誤解していた。 友人に誘われて初めて飯食を共にした時、次々と出されてくる料理に私は少し不安になった。 おかずばっかりこんなに沢山食べてしまったらご飯が食べられなくなると思った私は、次第に箸をつけるペースを落としていった。 食いの落ちた私を見て、友人はもう満腹になったと思ったのだろう。 次行くかと言って席を立ってしまった。 私は残された料理をもったいないと思い、満たされない腹をうらめしく思いながらも後に続くしかなかった。米処に育った私にとってメシとはご飯のことであり、おかずはあくまでもご飯を食べるための副菜に過ぎない。 おかずだけ食べて、ご飯を食べない食事なんてありえなかったのだ。 あれから30年、すっかり北海道流のメシにも慣れた。 相変わらずおかずばかりを食べるものだから、体に脂肪がたっぷりついてしまった。 一汁一菜とは言わないまでも、あまりにも贅沢なおかずが豪華に並ぶ北海道の食卓を考え直す必要はないのだろうか?
話はわき道にそれるがこの日、友人と別れて帰宅する時、どうにも空腹に耐えられなくて、居酒屋に入った。 メニューを見ると「いずし」と書いてある。 寿司か何かの変形なんだろうと思い込んで注文した。 出てきたのはなんと寿司どころか、鮭の切り身とキャベツの漬物に糀がかけられたものであった。 何これ?と聞いたら主人はいずしだよ、と平然と答える。 それでも無理に口に入れたが、期待感が外れたことと食べたことのない酸味に落胆してしまい、あれ以来いずしは苦手である。 漬物は野菜だけでつくってほしい。 魚は絶対入れないでほしいと私は願っている。

そんないずしのおいしさがわからないとは何とも残念なことだ。 ところが北海道で生まれ育った娘はこのいずしが大好きらしい。麹や糠は乳酸菌を発酵させることで長期保存を可能にするとともに、乳酸菌をチーズやヨーグルトから摂取するよりも日本人の体に合っていてとても理にかなっていると言う。我が家の食卓に、あまり上ることのなかった料理が好きになるとは、どうしたことか?なにかあずましくない感じだ。

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